奴隷支配の哲学
  Black Onyx ゆきな梨央様
  ゆきな梨央様がBlack Onyx読者に贈られたお言葉です。ご好意により掲載させて戴きました。 

S女性様へ女主人としての心構えをアドバイス

 まず、己を法だと貫くことではないでしょうか?
 人間にはいろいろな考え方や価値観があります。
 どれも尊重されるべきですし、貴女が自分に対してそうであるように、私もまた、貴女の考え方や意見を最大限尊重し、守ります。その代わり、私もまた、私の考え方や意見を全力で守ります。対等な人間同士ですからね。
 では、目の前のソレは何ですか?
 多様な考え方や価値観が尊重されるべき、尊厳をもった「人間」ですか? それを望むモノですか?
 そうであるなら、今すぐ解放(破棄)すればいいだけです。
 自由なら、日本国憲法がきちんと保障してくれますからね。
 でももし、そうでないなら、
 かつ、貴女が思ったとおりの行動が取れないのであれば、
 申し訳ないですが、貴女の力量不足かと思います。
 躾がなっていない。
 救うばかりでは不十分なのです。ただ助けられた奴隷は、もう、次に取るべき行動すらわかりません。ただうろたえ、路頭に迷う。そんな奴隷は、良いも悪いも、自分のすべきことがひとつも見えないまま、日々、怯えるだけです。
 原因は、貴女が道しるべとなっていないから。
 叱っていますか? 褒めていますか? そもそも「教え」ていますか?
 不透明な法やブレてばかりの法に従うほど、不安なことはありません。
 きちんとした「貴女の法」を打ち出し、指し示すことをお勧めいたします。
 奴隷を非難される前に、一呼吸おき、そうさせることを許す自分だった、という事実を受け止め、それはなぜか、という理由を考えてみてはいかがでしょう?
 もちろん、道を示したら、断固、反抗は許してはいけません。そのときこそ、徹底的に躾け直したらよいと思います。そこでどう矯正し、どう自分好みに育てて、どう支配していくか。そこが腕の見せ所でもあり、楽しみなのではないかと、私は思います。
 ただ、やはりここでも、奴隷をただヒステリックに責めるに留まるようでは、奴隷が可哀想なだけだと感じますね。
 長文・乱文、すみません。また、きつい言い方、上から目線、失礼、諸々をお詫び申し上げます。私もまた、先ほど申したように、自分の意見を最大限守るものです。ご質問には真摯に答えさせていただいたつもりでおりますので、ご容赦いただけたら幸いです。

奴隷としてあるべき姿とは?

 人間は日本国憲法に従っていればいい。だが、私のもつ奴隷は人間にあらず。私の所有物であり、玩具であり、私の存在なくしては生きてすらいけない、愚劣な存在。ゆえに、生きる希望を私に求めるモノが私に逆らうなど、言語道断。
 さあれど、私は力で奴隷を拘束する者でもない。それは、ただそこに「美」を感じないがゆえ。去るモノに興味はない。一人で立てるのなら、一人で勝手に生きていけばいい。美しく支配すること――そこに必要なのは、強制力ではなく、私に逆らう意味を感じさせない力である。
 根本に私への信頼や忠誠心が存在している限り、奴隷よ――あなたは間違いも失敗も、恐れることはない。一番の大罪は、かくあるべく根本の欠如ただひとつ。奴隷が従うべきものは、私の法。否……、私が法そのものであると認識せよ。私を法とするモノだけを、私は奴隷と呼ぶのだから。
 奴隷は私という法に従え。従えないのなら、解放してやる。さすれば、私のこの呪縛はたちどころに消え、晴れて、日本国憲法の保障する自由を享受できるだろう。


 日頃から大変お世話になっているBlack Onyxのゆきな梨央様から崇高なお言葉を頂戴致しましたので掲載させて戴きました。
 
                 Black Onyx
様に 【続】「奴隷支配の哲学」掲載を経てノチ - おしゃべり -が掲載されていますので、ぜひご覧下さい
 
 
 
 kazowk