私のマゾ歴

作者 キャンドルさん

始めに。先日「まささん」が投稿された「私の性癖の遍歴」を読ませていただきました。大変、共感し、興奮しました。そこで私も自分自身のマゾ歴を綴ってみたくなりました。きっかけを与えて下さった「まささん」に感謝いたします。ありがとうございます。
私が初めて女性の緊縛写真を見たのは、おそらく小学5年生。廃品回収置場にあったエロ本でした。ショックと同時に美しさを感じました。特に乳房が蝋燭まみれになる様子が。その写真が頭から離れず、ある夜、仏壇から蝋燭を持ち出し風呂場で包茎マゾペニに1滴垂らしました。飛び上がるほど熱く、すぐに止めました。それでも何日か経つと同じ事をして、その度に蝋燭の跡が増えていきました。
その頃、少年ジャンプで「けっこう仮面」が連載されており、「お仕置き」に興奮しました。
中学生になったある日、祖母が電動マッサージ機を肩にあてている姿を見て、無性にマゾペニにあててみたくなりました。留守の時に思いきって裏筋にあてた時、根元から痺れ、黄色がかったドロドロの液体が出て、初めて逝きました

。今、思えば初オナニー、初射精が電マだった訳で、既にマゾの世界に入っていたのでしょう。

しかし電マは音が大きく、家族全員いない時しか使えない。でも射精の気持ち良さは味わいたい。そこで左の腿に擦りつけて逝く事を覚えました。

普通に「シコシコ」するのは(仮性とはいえ)皮を引っ張るのが痛かったからです。この頃は射精の良さで蝋燭オナニーは全くしませんでした。
それでもマゾの要素は消えず、駄菓子屋で見たゴム製の蛇を買い、マゾペニに巻き付けたり、プラスチック製の蜘蛛でマゾペニをつつく等の「イケナイ遊び」をしていました。場所はいつも押し入れの中。凄くいやらしい気分にさせてくれる場所でした。
3年生の時、「映画の友」なる雑誌が良いと噂で聞き、さっそく買いました。「映画の友」まるで映画好きの情報誌のような名前。しかし内容は「にっかつロマンポルノ」の情報誌で、綺麗な女優さんの縄化粧写真に圧倒されました。

高校に入ると仮性包茎マゾペニも少しずつマシな状態になり、「シコシコ」するのはオシッコに行くのと同じ感覚で1日で何度もしていました。この頃のオカズは「エロトピア」等のマンガで、特に羽中ルイのSM物が大好きでした。名古屋の親戚の家の近くには古本屋があり、明らかに18歳未満の私にSM雑誌を売ってくれました。東京の親戚に遊びに行った時は毎日、神田に通いたくさんの種類のSM本に圧倒されながらも何冊も買いました。
浣腸にも興味を持ち、「祖母のお使い」と言ってイチジク浣腸を買いに行きました。液が入る時のゾクゾク感が堪りませんでした。
高校を卒業し就職した秋に、我が田舎町にもレンタルビデオ店が開店し、客の動きを見ながらアダルトコーナーに入ったものです。
そこで初めてSMビデオをレンタルしました。シネマジックの「菊池エリ」主演でした。乳首に垂れる蝋燭、尻を打つバラ鞭、食い込む麻縄に興奮して、数少ないSMビデオの全てをレンタルしました。責められている女優と自分自身をリンクしながらオナニーするうちに蝋燭オナニーが復活しました。しかしビデオに出てくる太い蝋燭はどこにも売ってなく、ホームセンターでできるだけ太い蝋燭を買い、天井から糸で吊るしマゾペニと玉袋が真っ白になるまで垂らしました。そしてとうとう皮を剥いて亀頭を真っ白にしました。熱さの中にも美しさと幸福感を感じました。

よつん這いになり、尻に垂らした時、偶然、尻の割れ目に垂れ、流れた蝋燭がアナルに届いた時、その熱さでアナルオーガズムを初体験しました。初めて買った「SMスナイパー」でプレイ用の蝋燭がある事を知り、真っ赤な蝋燭が欲しくて堪りません。スポーツ新聞の広告を頼りに名古屋の「大人のおもちゃ屋」を巡りました。プレイ用の蝋燭は仏壇蝋燭よりリスクが少ない上に、大量に垂らせる為、全身はおろか遂に顔面蝋燭パックするまでになりました。麻縄を入手する事はできなかったので荷物用のロープで身体をグルグル巻きにして、縄手錠を嵌め「自分の意志では無い。理不尽なお仕置きを受けている」というシチュエーション。「お願い、許して。アァー堪忍して!!」と言いながら独りで悶え、悦んでいました。
この頃のM男ビデオは高額過ぎて手が出なかったので、アートビデオやシネマジックの中古を買い漁ったものです。
そして30歳の時、とうとうSMクラブを利用する事になりました



私の田舎町では名古屋に就職する若者が多く、もしかしたら女王様が私の事を知っているかもしれないと心配になりました。東京ならば大丈夫だろうと思い「SMスナイパー」で見た東京のクラブに行きました。N様を使命し、受付後にマンションの一室に入り、初めてのプレイに挑みました。ドアを開け入室されたN様に初心者である事を話し、シャワーを浴びて全裸になりました。ボンデージに着替えたN様は赤い綿ロープで私を縛ってくださいました。鏡の前に立たせ「どう?嬉しいの?変態ね」と耳もとで囁かれ、私のマゾペニはいやらしい汁が糸を引いていました。その日は羞恥と蝋燭とオナニー疲労で終わりました。プレイ後の会話の時、尻にバラ鞭をお試しで数発打たれました。「けっこう気持ちいいかも」時間切れだったので次回のプレイ時のお楽しみとなりました。
3ヶ月後、再びプレイしたのですが、蝋燭でマゾペニを大火傷してしまいました。竿の表皮が広範囲にベロベロに剥がれ、病院通いとなりました。(今でも跡が残っています)以来、5年間はクラブ利用を控えました。それでも「ミストレス」「スナイパーEVE」は買い続け、「ブレーン・トラスト・カンパニー」「SMクイーンロード」のDVDを集めました。その中で1人の女王様に一目惚れし、再び東京に行きました。何本ものビデオ主演作品に出ている有名なH様です。


プレイが始まると同時にH様がアナルに指を入れ「何?こんなアナルじゃプレイできないわよ」とイチジク浣腸を2本入れました。その時の私は強度の便秘だったのです。その後にトイレに行っても結局、出ませんでした。それでも初めての麻縄に感じました。磔されて乳首にバラ鞭を戴きました。時々マゾペニに当たるのですが、それがまた気持ちいいんです。
3ヶ月後、再びプレイの時は排便して挑み、初めてのペニバンでアナル処女をもらって戴きました。
しかし数ヶ月後、H様は退店され再会は叶いませんでした。

H女王様の引退後は、「この女王様とプレイしたい」と思う事がありませんでした。それはH様があまりにも素晴らしい女王様だったからです。H様の主演作品は15年以上経った今でも、何度も見ています。
数年後、我が田舎町にもネットカフェがオープンし、PCを持っていない私は頻繁に通ってはSMクラブの情報収集をして、名古屋のクラブのS様を知りました。
2度プレイをしました。縛られ蝋燭まみれの私の写真をブログに掲載して下さり、(勿論、顔はモザイクですが)恥態を晒される悦びを教えて戴きました。私は顔やマゾペニに蝋燭を垂らされながらオナニーして、恥ずかしい姿で果てるのが好きですが、S様は、それを認めて下さらなかった為、物足りなさを感じていました。少し疎遠になっていたら閉店していました。
名古屋に新しいクラブがオープンし、A様の写真を見た時、私は心臓を鷲づかみされました。以来8年、ずっとA様とプレイしています。諸事情で年に1〜2回しか訪問できませんが、会う度に幸福感が増します。

初めてプレイした時の事は、今でも鮮明に覚えています。繁華街のラブホテルに早めにチェックインしてシャワーし、A様をお待ちしました。初めてお会いしたA様は、正に女神様のようでした。カウンセリングの後、A様が着替えている間に全裸になってお待ちしました。A様のボンデージ姿の美しさは、ここでは表現できないほどです。
土下座をして挨拶した私に首輪が付けられました。「これからお前は私のマゾペットになるのよ」ああ、なんと有難い御言葉でしょうか。
プレイをしている時、「お前はアナルプレイはできるの?」「興味はあります。数年前に一度だけペニバンをしました」「じゃあ、やってみようか」浣腸後、アナルが解されていきます。(気持ちいい。アナルがこんなに気持ちいいなんて知らなかった)
そしてペニバン、いや、A様の逞しいペニスが私の中に入って来ました。鳥肌が立ちました。そして私は初めてのアナルプレイで何度も逝ってしまいました。


プレイ後もアナルの疼きは収まらず、本格的なアナルオナニーにはまっていきました。
数年前にオープンした地元のエロビデオ店はSMグッズを置いていないので、名古屋の専門店まで行き、浣腸グッズとエネマグラ(現在のアネロス)風のバイブ、拘束具等を買いました。「ドライオーガズム」と言う言葉を知ったのも、この頃でした。ネットカフェで関連サイトを読み漁り、得た情報を基にアナルバイブを使ってみましたが、何時間経ってもオーガズムは来ませんでした。翌日、再チャレンジして一時間近くした時、急に寒気がして歯がガタガタと震えます。「なんだ?どうした?」その時、初めてドライオーガズムを迎えました。オーガズムは波のように何度も押し寄せ、私は涙を流しながら逝き続けました。
快感を知った私のアナルは、「もっと太いのを下さい」とねだり、55ミリのディルドが入るまでになりました。
ドライオーガズムを知った私の身体は快感の構造が変わったようになり、アナルだけでなく乳首、会陰部、ペニスでもドライオーガズムを得る事になりました。A様とのプレイはますます濃いものになり、乗馬プレイ、一本鞭、聖水、尿道口への蝋燭、そしてアナルフィストまで可能な身体になりました。A様の責めは厳しくも愛情に満ちており、私自身もA様好みのマゾペットになっていける悦びでいっぱいでした。
「今のお前なら、ここまで責めても大丈夫だろう」と言う信頼があっての事だと思います。
ある日、アダルトグッズ通販を見ていたら電流でペニスを責める「Mrシーザーパルス」を見つけ、すぐに購入しました。今までとは違う感覚の責めに夢中になりました。



ある日、シーメールが責められる同人誌コミックを見ました。実は私はシーメールSMものにも興味があります。同じ緊縛の画ならば女性の方が綺麗です。そこに巨根がついていたら・・
生まれ変わったら、ゆきのあかりさんや橘芹那さんのような綺麗なシーメールになってAVで責められたいと言う願望があります。今の私では到底無理ですけど(笑)

コミックのシーメールはアナルと尿道に金属棒を入れられて、そこに電流を流されて逝っていました。私は堪らずグッズを買い、「禁断の尿道オナニー」に手を出したのです。
金属棒は長さ12センチ、太さ6ミリで、シーザーパルスのリングと併用する事でペニスドライオーガズムを体験できます。電流の強さは日に日に上がりますが、MAXまでは行けませんでした。
ある日、A様とのプレイの中でA様が「これ使った事、ある?」と電流クリップを出されました。「はい、形は違いますが、電流オナニーしています」「じゃあ大丈夫ね。ここに付けてみよう」とマゾペニに電流責めをして下さいました。プレイ後に「実は尿道にも電流を流しています」と言うと「今度、持って来て」と言われました。
次のプレイの時、「付けてみて」と言われ、いつもと同じように装着すると「凄い画だね」と笑って下さいました。そしてコントローラーでマゾペニを翻弄し、最後はMAXにして、私に天国と地獄を与えて下さいました。
ある日、ネットを見ていたら自らペニスを痛めつけて射精する動画を見つけました。主宰者のブログにコメントするうちにメル友となり、私自身もマゾペニを苛めるようになりました。玉、カリを麻紐で縛り重しを付け、立ち上がって腰を振り千切れてしまいそうな痛みに悶えるオナニーをしました。尿道口開口器具で目一杯開いた尿道に蝋燭を注ぐオナニーでは、あまりの熱さにのたうち回りながらも、その後にくるジーンとした熱さに痺れました。
尿道に入れる金属棒は更に長く太くなり、もはや普通のオナニーには戻れない身体になりました。
でも後悔はしていません。それよりもっと感じたい、もっと酷い目に遭いたいと願っています。あまりの刺激に白目を剥くような快感が欲しいのです。


最後に
私も50半ばに差し掛かり、SMの事ばかり考えていられない環境と肉体になりました。それでもいつかは「マゾの聖地」である六本木のSMバーに行き、観客の前で恥ずかしい姿を晒したいと願っています。また、年齢、体力に応じて内容は緩くせざるをえないでしょうが、A様とのプレイはできるだけ長く続けたいと願っています。